親でも、兄弟でも、友人でも、恋人でも、夫婦でも、同僚でも、先輩後輩でも、いくら仲がよくて気持ちが通じ合っていても些細なズレはあるもんだ。
映画を観たいねということで意見が一致しても観たい映画が違っていたり、観たい映画が同じでも、どの劇場で観たいかが違っていたり。
酒でも呑みたいねということで意見が一致しても、ワインだったり、泡ものだったり、焼酎だったり、ビールだったり、日本酒だったり。
一緒に食事でもしたいねということで意見が一致しても、和食かイタリアンか焼肉か…。イタリアンってことで一致してもパスタかリゾットか、肉か、魚か…。近いうちにということで意見が一致しても、今日なのか、明日なのか、週末なのか、来週なのか、来月なのか…。
ショッピングに行ったって、食材なのか、家電なのか、服なのか、バッグなのか、履なのか、CDなのか、本なのか…。
自分の意向や欲求を主体に組み立てると、相手は相手で独立した個人なんだから意向や欲求が完全に合致することはあり得ない。そんなことは疾うの昔から知っていますがそれでも完全に一致した様に錯覚する瞬間が尊い。
ヒカルとは「なんでもいいから、どうしてもタオに会いたいね」ということで完全に意見が一致した。
独立した個人2人を完全に繋ぐのだからタオはすごい。たかが雑種の大型犬1匹のくせにやるもんだ。
iPhoneが不調で仕方なく復元中。
これってMMSとか消えちゃうんだよね、確か…。
平日は毎日、タオの散歩が終わったら、タオの写真を撮ってヒカルにMMSした。
うんちやおしっこの回数や状態の情報交換。
こうやって色々な情報や思い出が消えて行く。
これだけテクノロジーや情報技術が発達しても、タオの復元はできない。
きっと100年後でも1000年後でも命の復元ってムリ。もっとも命の定義がもっと曖昧になるだろうから、今とは違うだろうけど。
生と同じだけ、死は荘厳で尊い。
でもちょっと荘厳過ぎるな…。


