ゴールデンウィークに相応しいゴールデンな朝。

 夜通し音楽を聴きながら自分で撮った写真を見ていたら、写真で何かを伝えるつもりがないことが分かった。

 そーいや何かを伝えたいとか思って写真撮ってない。

 要するにスナップショット。日常を切り取っているだけ。でも切り取るときには自分の好みに近づけたい。そんな程度…。

 写真にメッセージを込めるとかゼロ。

 誰でもそうだと思うが自分の本懐に近い部分は恥ずかしい。例えばそれはエロの趣味だったり、女や男の趣味だったり。

 写真は自分の本懐から遠いので恥ずかしげもなく公開できる。

 テキストを書くことは本懐に近いけど、こんな文章はどーでもいいので幾らでも書き散らかせる。ほぼ呑んで喋ってる感覚と同じ。

 ミュージシャンでもないから、自作曲だってアップできる。

 歌だって歌っちゃうし、なんだったら散文詩でも書いちゃうし、どーせだったら踊ります。

 そう考えるとブログから発信できるデジタル情報は、それが写真であろうが、動画であろうが、テキストであろうが、サウンドであろうがどーでもいい。

 例えばひんやりとした手触りとか、口に含んだときのねっとりした甘さとか、くらくらするほどに濃厚な南国系の花の匂いとか、デジタルデータでは伝わらないことがこれから大切になるとか思ってみますが、そんなことはとっくのとーに分かってたことで、そんなことを語り明かしていたとっくのとーの自分とシンクロした。

 とっくのとーに全ては変わっているが、その様でいて実は何ひとつ変わっていない。

 この普遍性が好きだ。

 …とか書いてる自分に再シンクロ。

 シンクロ率が高い。

 …と思っているだけな気がするが、そうでない気もする。

 いやしかしゴールデン。されどゴールデン。

 ゴールデンウィークは東京の空が澄んでいる。

 だから世界に降り注ぐ光が見える。

 その光は虹色に輝いている気がするが、気のせいだって気もする。

 その感じは、眠いのに眠くないとか、眠くないのに眠いとかに近い。

 それは即ち、眠い。

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