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 亡くなった主人の声が聴こえてくるので、怪訝そうに蓄音機に耳をすますニッパー。
 彼の主人の声「His Master’s Voice」を略してHMV。
 ヒカルが会社からニッパーの陶器の置き物を持ち帰って来たが、怪訝そうな表情の中に、深い悲しみと再会できた喜びが見え隠れして完成度がかなり高い。
 デスクの上に置いて眺めていたらあれこれ思い出してしまった。

 ぼくの親父が亡くなって、親父が飼っていたケムという犬を引き取った。

 引き取ったときに既に15歳くらいでヨボヨボだったのに、ケムは20歳まで生きて晩年は寝たきりでおしめ。
 おしめをしててもうんちとおしっこまみれになるので、仕事で疲れて帰宅した後でも毎日風呂に入れた。介護ノイローゼ1歩手前になるくらいに介護でへとへとだった。

「もう介護も限界だ」と、心が少し挫けた数年前の年末…。

 寝たきりとはいえ、それまで元気だったケムの容態が急に悪くなった。心配しながら眠り12月31日の朝に目覚めるともう呼吸が停まる寸前だった。抱きかかえてソファに寝かせ、毛布をかけてさすっていたら、そのまま静かに息を引き取った。

 別れを告げるために、ぼくらが目覚めるまで頑張って待っていたんだと思う。
「いままでありがとう。わたしはもう十分に生きました。これからはタオを可愛がって上げてください。来年からわたしはいませんが、みんな元気に仲良く暮らしてくださいね」
 というメッセージを受け取った気がした。

 わざわざ大晦日に亡くなるというのが、なんともケムらしい。
 犬が暦を認識しているかどうかは別としても、凛とした彼女は自分に新年は相応しくないと、年内でケリをつけたんだと思う。

 新年も介護が続くと思っていたのに、とても穏やかで、悲しくて、喪失感のばかりの正月となった。

 ケムを引き取ってすぐのこと。
 散歩していると急にもの凄い勢いでリードを引っ張り吠え続けた。なにが起きたのか分からないままケムが必死に向かおうとする方向に進むと、そこに1台の車が停まっていた。
 親父が、よくケムを乗せてドライブに連れて行った車と同じ車種だった。
 エンジンの音が聞こえて、親父が迎えに来たんだと勘違いしたのだろう。あんなに必死なケムを見たことがない。

 言葉が通じないケムに親父の死を伝える術を知らない。ましてやそれが親父の車でないことや、親父が迎えにきたんではないことを伝える術がない。
 ケムはそこから1歩も動こうとしなかった。
 そしてかなり長い時間親父を待ち続けたが、諦めてまた歩き出した。
 ケムはこのとき、親父がもう迎えに来ないことを確信したんだと思う。

 そんなことに関係なくすやすや寝ているタオ。
 こいつを看取るのかと思うと悲しいが、車の前で親父を待ち続けていたケムを思い出すと、タオを残して先立つわけにもいかない。

 死は尊い。そして完璧だ。
 なので生きている間は、生を全うするのがよい。
 全生なんである。

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