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 土曜日はオーブンクレイのタオ人形と車で買い出し。
 亡くなって3週間が経つが、どうにも土曜日は悲しくてやっていられない。朝に病院に連れて行って、容体急変して病院に駆けつけて昼に亡くなってしまったあの日が蘇って息苦しくなる。
 なので昼から家で串カツ。別に昼から串カツを食べたいわけでもないんですが、なんかジュージューと揚げてる音がするだけで景気がいいというか、寂しさがまぎれる。食べることに専念するんじゃなくて、食べたいものを楊枝に差して衣とパン粉をつけて揚げるという作業が続くのも手持ちぶさたにならなくていい。お好み焼きや鉄板焼きと同じですね…。
 串カツをタオの仏前に備えながら呑んでいたら息苦しくなる様な夕焼け。

 日曜日は一歩も外に出ずにひたすら爆睡。散歩に最適な秋晴れの休日でしたが、タオもいないのに散歩に行く気になれない。

 どんなに楽しかった、可愛かった思い出を話していても、最終的には「タオに会いたいね」ということになり、それが叶わぬ現実に直面すると寂しいし、悲しいという繰り返し。

 タオの思い出を話しているときに「タオはいい子だったよねー」と話すと、なんだか「だった」という過去形になっていることが悲しくなるので「タオはいい子だもんな」という風に現在進行形でタオに語りかけ直す。

 魂とか天国なんて眉唾だと思うんですが、素粒子レベルで思念みたいなエネルギーが残っている気がする。
 でもそれは匂いと同じで、どんどん空間に溶け込んで希薄化していく。

 まだ傍にいてくれる気もするし、もう遠くに行ってしまった気もする。
 四十九日は傍にいてくれるんだよな、タオ?

 数年前にキャンドルナイト用に購入した大量のティーライトティンが家にあったので、お線香とロウソクを絶やさずにいる。
 しかしライトを消してキャンドルだったらCo2削減に繋がってエコだと思うけど、ライト点けたままティーライトティンも燃やしてるんだからエコじゃないことこの上ない。でもそれくらいは神様も仏様も許してくれるんじゃないだろうか?