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 夕方に(夕方ってタオに空目しちゃうんだよな)にtwitterで大鳥神社が酉の市だとの情報を得る。
 ヒカルが19時くらいに仕事終わりだというので大鳥神社の対面のモスの前で待ち合わせ。
 タオ人形持参でタオの散歩気分で家を出たら、途中ですれ違う人がみな熊手を持っているのに驚く。

 目黒に越してきてそろそろ7年。
 家から徒歩7分くらいの大鳥神社は、タオとの散歩で何回も前を通ったし、10回くらいはタオと一緒にお参りしているんですが、酉の市に行くのは初めて。
 人混みが嫌いなタオがいるときは素通りだったから…。

 30分並んでお賽銭とお参り。
 ぼくの身辺だけお願いするのなんて都合良過ぎて気が退けるので、タオのことをよろしくお願いしつつ、世界から少しでも悲しみが減りますようにという抽象的なお願い。
 1番安い800円の熊手を買ってみる。

 お腹が空いたので目黒駅方面に歩いてたまたま空いていたshinに入ると、ご近所のMさんが1人呑みしていた。
 久しぶりに会ったのに、いきなり「なんて言っていいのか分からないので連絡を控えていたんですが、お悔やみ申し上げます」と言われる。

 ワインを呑みながら色々と話し。
 Mさんもお父さんを亡くしたばかりなので、死生観のことが話しの主題。

 あらゆる宗教に捕われない部分で、亡くなった人や犬が、まだ生きている感覚が通じる。
 …とはいえ、それは残された人の心の中にだけ。
 でも、物理的に肉体が滅んでも、精神エネルギーというか、残留思念があるうちは生きているのと大差ない。
 そのくせ、家に帰ってもタオの匂いがしないとか、タオの無駄吠えが聞こえないとか、嫌がられつつも抱きしめてキスしたりできないのが本当に寂しい。

 亡くなって1ヶ月の今日に、タオと何度もお参りに行った大鳥神社の酉の市。
 少しずつ、タオがいない世界に馴染んでいることが、これまた寂しいけど…。

 こうして全てが薄まっていく。
 それは悲しくて寂しいけど、時が過ぎるってのは、どうにもできないほど力強い。

 タオは楽しんでくれたのかな。